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津地方裁判所 昭和57年(ワ)9号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は原告に対し金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和五三年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

仮執行宣言付判決が言渡される場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故

原告は、昭和五三年一〇月一三日午後四時三〇分頃、原動機付自転車(原告車という)を運転して津市中央一七番一号先交差点に西から東方向へ進入したところ、南から北方向へ同交差点に進入して来た津郵便局集配課勤務の国家公務員木村克喜運転の軽四輪貨物自動車(三重40い九四六四、被告車という)が原告車の側面に衝突し(本件事故という)、原告は右上腕・左背部打撲傷害、左膝・左足関節捻挫、左大腿四頭筋機能不全左下肢脱力感の傷害を受けた。

2  被告の賠償責任

被告は、右軽四輪貨物自動車(被告車)の保有者であるから、本件事故による右傷害によつて原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 原告は右傷害治療のため昭和五三年一〇月一四日より同月二〇日まで(合計七日、実日数二日)樋口病院に、昭和五三年一〇月二六日三重大学医学部附属病院に、昭和五三年一一月一三日より同五四年五月一四日まで三井整形外科医院に通院し、その治療に専念したが、左記のような後遺症が残存した(昭和五四年五月一四日症状固定)。

(1) 左膝伸展筋力〇、屈曲四マイナス

(2) 左足約三〇度の拘縮

(3) 右症状により、日常戸外活動不能、階段昇降については手摺を要し、就学能力は室内に於て歩行を要しない上半身使用による作業のみ可能。

(4) 膝の機能が果せず、すぐ転ぶ。

(5) 右後遺症は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表後遺障害等級表五級に該当する。

(二) 右傷害によつて原告に生じた損害金額は次のとおりである。

(1) 症状固定時までの慰藉料 金二〇〇万円

原告は右傷害により約七か月間筆舌に尽しがたい苦痛を味わつた。原告のこの苦痛を慰藉するためには最低金二〇〇万円の慰藉料を必要とする。

(2) 逸失利益 金九九九万八五六四円

原告は後遺症固定当時三八歳、就学可能年数は二九年、後遺症五級の労働能力喪失率七九%、給料月額金一七万九五〇〇円であつたから、ホフマン係数一七・六二九を適用して逸失利益の現価を計算すると、〝左の計算式のとおり、右傷害によつて生じた逸失利益は金二九九九万八五六四円と算定されるべきである。

一七万九五〇〇円×一二×〇・七九×一七・六二九=二九九九八五六四円

(3) 後遺症慰藉料 金九〇〇万円

原告は右後遺症残存により、十分な稼働が妨げられ、大変な苦痛を味わつており、将来もこの苦痛は消えるものではなく(鞭打ち症のような精神的苦痛ではなく、身体変形の後遺症である)、原告のこの精神的苦痛を慰藉するには最低金九〇〇万円の慰藉料を必要とする。

(4) 弁護士費用 金一〇〇万円

加害車を運転していた木村克喜には何の誠意もなく、原告が身体障害者であることから、右傷害及び後遺症と本件交通事故との因果関係を肯認しないため、原告はやむなく本訴代理人に本訴提起を依頼せざるを得なくなり、弁護士費用として金一〇〇万円の支出を余儀なくされた。

(三) 損害填補

原告はこれまで右損害に対する賠償金一六〇万円を受領したから、右損害合計金四一九九万八五六四円より右受領金一六〇万円を差し引いた残金四〇三九万八五六四円が、被告が原告に対し支払うべき損害賠償金額となる。

4  よつて、原告は被告に対し右損害金の内金三〇〇〇万円とこれに対する昭和五三年一〇月一四日(本件事故日の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び抗弁

1  請求原因1の事実のうち、本件事故が発生したことは認めるが、その余は知らない。

2  請求原因2の事実のうち、被告が木村克喜運転の軽四輪貨物自動車(被告車)の保有者であることは認めるが、その余は争う。

本件事故は、原告の重大な過失によつて生じたものである。すなわち、本件事故現場は、原告車が丸之内養正町方面から大門方面に向けて進行していた道路(「東西道路」という)と、被告車が丸之内方面から常盤町方面に向けて進行していた道路(「南北道路」という)とがほぼ直角に交わる左右の見通しの悪い交差点(「本件交差点」という)であり、本件事故の態様は、原告車が東西道路を制限速度時速三〇キロメートルを超える時速約三五キロメートルで東進し、本件交差点に差しかかつた際、左右の安全を確認することなく、しかも一時停止もせず、速度を時速二〇キロメートルに減速したまま漫然と進行していたのに対し、被告車は一方通行に規制されていた(北進のみ許されていた)南北道路を北進し本件交差点に差しかかつた際、左斜め前方約九メートル先を進行中の原告車を発見し、直ちに急制動の措置をとり衝突の危険を回避しようとしたが及ばず、原告車の右側面に衝突したものであるが、その衝突は右事故態様から明らかなように、被告車が停止する寸前に接触した程度のものであつた。

ところで、自動車の運転者は、見通しの悪い交差点に進入しようとする際には、交差点手前で一時停止するか、又は徐行して左右の安全を確認し、かつ交差点内を通過するときは交差道路を通行する車両等に特に注意し、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない注意義務があるところ(道路交通法三六条四項)、原告は、本件交差点が見通しの悪い交差点であることを知悉しながら、左右の安全確認義務を怠つて進行した結果、被告車の進行に気付かず、被告車と衝突したものであつて、原告が右注意義務を怠らなければ容易に被告車の進行に気付き、急制動又は転把の措置により衝突を避けることができたものであるから、本件事故は、原告の左右安全確認義務違反及び徐行義務違反という重大な過失によつて発生したものであることは明らかである。したがつて、被告が原告に対し損害賠償責任を負うべきいわれはない。

仮に、被告が原告に対し損害賠償義務を負うとしても、右のとおり原告の過失は重大であるから、被告の負担すべき損害賠償額を定めるに当つては、最大限の過失相殺がなされるべきである。

3  請求原因3の事実は不知ないし争う。

(一) 原告主張の傷害について

原告が本件事故によつて受けた傷害は、「右上腕・左背部打撲傷、左膝・左足関節捻挫」であり(甲第一号証)、右傷害の程度は、被告車が停止寸前に原告車と接触したというその衝突の程度からみても軽傷であつたことは明らかである。このことは、原被告双方の車両の損傷が軽微であつた事実及び原告が右傷害治療のため入院する必要もなく、一週間程度の通院(治療実日数二日)で治癒見込みとある(甲第一号証)ことからも明らかなところである。しかるに、原告は後遺障害等級表五級に該当する後遺症が残存する旨主張するが、次に述べるとおり、原告の右主張は理由がない。

(1) 左膝伸展筋力について

原告は、左膝伸展筋力〇、屈曲四マイナスであると主張するが、三重大学医学部附属病院塩川靖夫医師の診断書(乙第一〇号証)では、伸展筋力二、屈筋二マイナスと診断されている。いわゆる筋力測定は、医師の主観的判断要素を含み、被測定者の意志によつても結果が異なることは明らかである。原告は、「装具を付けなさいと言われたが、荷物等を持たん時とか、階段を登り降りするとき以外には装具を外して訓練しないことにはますます悪くなることから外してやつています。」と述べている(第一回原告本人調書82)とおり、歩行可能な能力があること及びクラツチ車を運転している事実から、伸展筋力〇ということはとうてい考えられず、少なくとも塩川医師の診断程度の伸展筋力が存することは明らかである。

(2) 左足約三〇度の拘縮について

この場合の左足とは、甲第四号証後遺障害診断書に尖足位とあることから医学上足関節を意味することとなるところ、原告は左足の拘縮が存すると主張するけれども本件交通事故による傷害は前記のとおり軽傷であつたから、その傷害によつて筋肉の拘縮が発現することは通常考え難く、仮に左足拘縮があるとしても、それは既存障害(ポリオ)の結果であると考えるべきである。

(3) 原告は、甲第四号証後遺障害診断書を根拠として、日常戸外活動の不能、階段昇降について手摺を要し、就学能力につき室内に於て歩行を要しない上半身使用による作業のみ可能である旨主張するが、原告は、本件事故後においても、現実に、訴外有限会社五光商事において外務作業に従事していた事実、大正海上火災保険会社の代理店として外回りの仕事にも従事していた事実及びクラツチ車を運転していた事実に照らし、原告の右主張は明らかに事実に反するものといわざるをえない。

(4) 膝の機能が果せず、直ぐ転ぶとの主張について

原告は五光商事の階段を三回位滑り落ちた旨供述するが、本件事故後右の五光商事に勤務していた期間は一年八か月であり、その間に三回ということであれば、膝の筋力が正常な者であつても階段の状況等から階段を踏み外すことは十分あり得ることであつて、このことをもつて「直ぐ転ぶ」とはいえない。

(5) 後遺障害等級五級に該当するとの主張について

原告は、以上の点をふまえて、本件事故に起因する後遺症は、後遺障害等級五級に該当すると主張するが、原告の後遺症が五級に該当すると認め得ないことは、三重県労働基準局の労働災害鑑定医を兼務する塩川医師の証言により明らかである。

(6) 以上のとおりであるから、原告主張の諸症状はいずれも本件事故との間に相当因果関係はないというべきであつて、結局後遺障害等級五級に該当するとの主張は理由がないというべきである。そして、原告の現存障害は、本件事故前に生じていた既存障害であることは後記のとおりであるが、その程度は、八級七号「一下肢に仮関節を残すもの」に該当すると認めるのが相当である。

(二) 原告の既応症について

原告の現存障害は、本件事故によつて生じた後遺症ではなく、原告が幼少時罹患した脊髄性小児麻痺(ポリオ)による既応症が加齢に伴い増悪したものである。すなわち、原告は、昭和三二年、岡山県から、身体障害福祉法に基づき同法別表四の1に該当する障害があるとして、身体障害者手帳の交付を受け、その障害の程度は身体障害者福祉法施行規則別表第五号身体障害者障害程度等級表四級と認定された。原告は、右事実を認めながらも、原告本人尋問において、「職業訓練所に入所するため必要であつたから認定を受けたものであり、…………五体満足な健康な人と比べても自分はそれ以上のことをやつた。」旨供述し、その証拠として、原告が山登り、屋根の修繕等をしている写真を提出しているが、右写真の事実は、いずれも原告が一〇歳又は二〇歳代のものであつて、ポリオの専門医である塩川医師の証言からも明らかなように、一〇歳~二〇歳当時に正常の筋力を有していたとしても、ポリオが加齢に伴うい増悪し、筋力が低下するものと認められるから、原告の現症状が右ポリオに起因することを否定することはできない。

ところで、原告の本件事故前における障害はどの程度であつたかを明らかにする証拠は、原告本人尋問の結果以外にはないが、既に逐一検討してきたとおり、原告の供述は全く措信できないものといわなければならず、結局、塩川医師の証言及びポリオ疾患の特徴等から推定すると、原告の現存障害は、本件事故前に罹患し発症したポリオに起因するものと考えるべきである。

(三) 逸失利益の不存在について

1 原告の現存障害は既存のポリオに起因する障害であつて、本件事故との間には相当因果関係が存しないことは前記のとおりであるが、仮に本件事故によつて原告に労働能力の喪失・減退があつたとしても、次に述べるとおり、これにより原告には得べかりし利益の喪失という具体的な損害が発生していないから、それを理由とする損害賠償請求は許されない(昭和四二年一一月一〇日最高裁判所第二小法廷判決民集二一巻九号二三五二頁参照)。すなわち、原告は、「本件事故のためクラツチ車の運転が不可能となり、外務作業が出来なくなつたため五光商事を退職した」旨供述するが、原告が五光商事を退職したのは本件事故の一年八か月後であること、その間本件事故後も外務作業を行つていたこと、本件事故後も昇給していること、五光商事退職と同時に正社員一名、パート二〇〇名の従業員を雇傭して、デイリーサービスという商号の広告物宅配業を開業していること(当初は個人営業、後には株式会社組織)、本件事故後も原告はクラツチ車を所有し、しかもクラツチ車を運転して交通事故を起していること等の事実に照らし、右原告の供述はとうてい信用することができない。原告が五光商事を退職した理由は、原告が右デイリーサービスを自営して多額の収入を得ようとしたためであつて、本件事故が原因でないことは明らかであるから、右退職によつて現実に収入の途がなくなつたとしても、それと本件事故との間に相当因果関係はない。原告は昭和五五年六月から昭和五六年三月頃まではデイリーサービスを自営し、昭和五六年六月から昭和五七年二月までは大正海上火災保険会社の代理店業を自営し、昭和五六年一〇月からは豊田商事株式会社三重営業所に入社し、昭和五七年一二月には同社松本営業所へ、昭和五八年二月には同社横浜支店に転勤して現在に至つており、その間労働能力の減少による格別の収入減を生じていないばかりか、特に豊田商事に入社後は、主任、係長、課長、次長と昇進し、現在横浜支店長として本件事故前の収入を大幅に超える月約一〇〇万円の収入を得ているのであるから、原告の労働能力減少による逸失利益が存しないことは明らかである。なお、逸失利益についての具体的な損害が発生していないことは右のとおりであるが、百歩譲つて、原告のポリオに起因する既存障害が本件事故によつて加重され、労働能力が減退したと認められる場合は、被告はその労働能力減退の限度においてのみ損害賠償義務を負担すべきものである(昭和五〇年五月三〇日東京高裁判決下民集二六巻五~八号四六三頁参照)。結局、原告の本件事故による損害は、これまで原告が損害賠償金として受領した一八一万一七九〇円によつて完全に填補されており、本件訴えによつて被告に対し損害賠償を請求する余地はないものというべきである。

4  仮に被告に損害賠償義務があるとしても、原告は、本件交通事故による損害の賠償として、自動車損害賠償責任保険から金一八一万一七九〇円の支払を受けたから、該金額は損害賠償金額から控除されるべきである。

三  抗弁に対する原告の認否

被告主張の抗弁事実のうち、原告が損害賠償金一六〇万円を受領したことは認めるが、その余はすべて争う。木村克喜は被告車を運転して本件交差点に進入するに際し、徐行したうえ、左右東西道路の安全を確認して事故を未然に阻止すべき注意義務を怠り、漫然、本件交差点に進入した結果本件事故を惹起したものであるから、被告が原告に対し損害賠償義務を負担するのは当然である。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件事故

原告が、昭和五三年一〇月一三日午後四時三〇分頃、原動機付自転車(原告車)を運転して津市中央一七番一号先交差点に西から東方向へ進入したところ、南から北方向へ同交差点に進入して来た津郵便局集配課勤務の国家公務員木村克喜運転の軽四輪貨物自動車(三重40い九四六四)が原告車の側面に衝突したこと(本件事故の発生)は、当事者間に争いがない。そして、原告本人尋問の結果(第一回)により原本の存在・成立を認めることができる甲第一号証、成立に争いのない乙第五号証、第一一号証及び原告本人尋問の結果(第一回)によると、原告は本件事故により右上腕・左背部打撲傷、左膝・左足関節捻挫の傷害を受けたことを認めることができる。

二  被告の損害賠償責任

被告が木村克喜運転の軽四輪貨物自動車(被告車)の保有者であることは、当事者間に争いがない。したがつて、自動車損害賠償保障法三条に基づき、被告が原告に対し、右傷害によつて原告に生じた損害を賠償すべき義務を負担していることは明らかである。

被告は、本件事故が原告の左右安全確認義務違反及び徐行義務違反という重大な過失によつて発生したものであるから、原告に対し損害賠償義務を負わない旨主張するが、成立に争いのない乙第一ないし第四号証、第七号証によると、「本件事故現場の交差点に、被告車は南北道路の南から北方向へ進入し、原告車は東西道路の西から東方向へ進入したが(道路幅員はほぼ等しい)、いずれの進行方向からも左右見通しの悪い交差点であつたにもかかわらず、双方とも、交差点進入直前に一時停止又は徐行して交差道路へ進入して来る相手車の有無を確認すべき注意義務を怠り、漫然と相手車が進入して来ないものと軽信して、被告車は時速約三〇キロメートルで、原告車は時速約二〇キロメートルで右交差点に進入したという双方の過失により、被告車運転の木村克喜が原告車の進入に気付き急制動の措置をとつたが間に合わず、停止寸前のところで原告車の右側方に衝突したことを認めることができるから、右被告主張はとうてい採用できない。

三  過失相殺及び損害填補金

1  本件事故の発生について原告にも前項認定のとおりの過失があるから、原告に生じた損害の三割を減じ、その残余七割を被告に賠償させるのが相当であると認める。

2  成立に争いのない乙第一六号証の一、二及び弁論の全趣旨によると、原告は右傷害に対する損害賠償金として自動車損害賠償保険より、昭和五五年二月一三日頃一七万一七九〇円(治療費分)、昭和五五年五月二九日頃一六四万円(治療費を除くその余の損害分)を受領したことを認めることができる。なお、原告は本訴において治療費に関する損害賠償請求をしていないが、右傷害の治療費は右一七万一七九〇円で全額填補されていると認められる。

四  被告の損害賠償義務

前掲甲第一号証、乙第一ないし第五号証、第一一号証、成立に争いのない乙第八号証、第九号証、第一二号証、第一三号証の一、二、第一七号証、第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証、第二二号証の一ないし五、第二三号証の一、二、第二四号証、第二五号証、第二六号証の一、二、第二八号証、原本の存在・成立に争いのない乙第一〇号証、賃貸借契約書及び入居申込書部分の成立に争いのない乙第一八号証、原告本人尋問の結果(第一回)により原本の存在・成立を認めることができる甲第二ないし第五号証、証人杉浦鉄男の証言により真正に成立したものと認める乙第二七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第二九号証の一、二、証人木村克喜及び塩川靖夫の各証言並びに原告本人尋問の結果(第一ないし第三回。但し、後記認定に反する部分を除く)を総合して考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和五三年一〇月一三日午後四時三〇分頃、自らの過失も加わつて発生した本件事故に遭遇した後、事故時乗車していた原動機付自転車(原告車)を再び運転して勤務先有限会社五光商事へ帰社し、その日は医師の診療を受けなかつたが翌一四日、津市大門所在の樋口病院に赴き、院長・医師樋口喜代司の診療を受け、その後同月二〇日にも同医師の診療を受けた。樋口医師は本件事故による原告の傷害を「左上腕・左背部打撲傷、左膝・左足関節捻挫」を診断し、右実日数二日の治療で同月二八日には治癒する旨診断したが、原告本人が樋口医師に対し左膝に力が入らず、車のクラツチが踏めない旨強く主張したので、樋口医師は原告に対し三重大学医学部附属病院整形外科で診察を受けることを勧め、同病院を紹介した。なお、樋口医師は本件事故による原告の傷害は右一〇月二〇日の治療によつて治癒するものと診断していたので、同年一一月二二日津地方検察庁検察事務官眞弓進の電話照会に対しその旨返答した。

原告は、樋口医師の紹介を受けて三重大学医学部附属病院整形外科塩川靖夫医師の診察を受け、塩川医師に対しても本件事故による傷害の結果左膝に力が入らなくなつた旨強く主張したが、塩川医師は原告の現症状の大部分は原告が幼少時に罹患した脊髄整小児麻痺(ポリオ)の後遺症に起因する旨の判断を示したため、原告はそれ以後同病院で診療を受けることを止め、同年一一月一三日から、自分の右主張を取り入れてくれた三井整形外科三井貞三医師の診療を受けるようになり、昭和五四年二月頃三井医師により膝装具を装着してもらい、三井医師作成にかかる自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲第四号証)を昭和五四年五月一八日自動車保険料率算定会四日市調査事務所に提出した。しかし、理由は不明であるが、右調査事務所が三井医師作成にかかる右後遺障害診断書を採用しなかつたため、原告はやむを得ず同年一〇月一二日再び三重大学医学部附属病院整形外科塩川医師の診察を受け、同医師に自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙第一〇号証)を作成してもらい、同年一一月七日自動車保険料率算定会四日市調査事務所にこれを提出した。なお、塩川医師は右後遺障害診断書の末尾に、括弧書きで、「しかし、当方としては、経過は全くみていない為、患者の陳述のみから判断したものです。」と特に付記し、右後遺障害診断書記載の診断内容が原告の陳述を事実と考えた場合の結論であることを明示した。

2  他方、原告は、本件事故後も従前より勤務していた有限会社五光商事に変りなく勤務し、事故前と変りない内容の仕事をし、事故当時(昭和五三年)の給与月額一七万九五〇〇円は昭和五五年(退職した年)には平均月額二一万三〇〇円に昇給していたが、昭和五五年六月二一日同社を退職し、津市乙部川田一三一オトベオフイス一階一〇二号室(一四坪)を家賃月額七万五〇〇〇円で賃借し、常勤従業員一名、パート従業員約二〇〇名を雇傭して、デイリーサービスという商号の広告物宅配等の個人営業を開業し、自己所有の居宅を売却してその代金を右営業のために使用する等右事業の発展維持に努力した。昭和五六年二月一二日には資本金五〇〇万円のデイリーサービス株式会社を設立し、原告が代表取締役となつた右個人営業を右会社に継承して営業を継続したが、同年五月頃右会社は負債約一〇〇〇万円を残して倒産した。なお、原告は遅くとも昭和五五年五月二日以降小型貨物自動車(三44六四一八、トヨタ型式RY一二)を所有していたが、それはトルコン(ノンクラツチ車)ではなかつた。

右倒産後、原告は昭和五六年六月から昭和五七年二月まで大正火災海上保険株式会社代理店となり、研修を受けて代理店業務に従事していたが、その傍、昭和五六年一〇月から豊田商事株式会社三重営業所に就職し、昭和五七年一月には主任、同年二月には係長、同年三月には課長、同年四月には三重営業所長(格付は課長)、同年一〇月には次長(補職は三重営業所長)に順次昇進し、また給料月額は、三重営業所長昇進前は固定給二五万とそれに加算される成績給を、三重営業所長昇進後は固定給三五万円とそれに加算される成績による褒賞金約五〇万円を受領し、多い月には合計で約一〇〇万円を受領していた。しかるに、原告は、昭和五七年六月一四日午後三時の証拠調期日において実施された原告本人尋問において、「本件事故により現在私は無収入になつたのです。それで生活費は私の母や姉に援助を受けています。…… 以前には、私は自分の家を持つていたが、仕事が出来んということから子供も四人いたが同人らとも別れ、家も処分したのです。本件事故によりそういうところまで発展していつたのです。」と全く事実に反する供述をした。また、昭和五七年三月二九日、原告は県道松坂久居線の交差点で他車と出会い頭の衝突事故を起したが、その時原告が運転していた普通乗用自動車(三57は七二二九)はトルコン(ノンクラツチ)車ではなかつた。

その後、原告は、昭和五七年一二月頃豊田商事株式会社松本営業所の所長(格付は次長)に転勤し、昭和五八年三月頃同社横浜支店の支店長(格付は部長)に転勤し、現在に至つているが、給料月額は、松本営業所長当時は三重営業所長当時とほぼ同額であり、横浜支店長になつてからは固定給四〇万円とそれに加算される成績による褒賞金平均七〇万円を受領している。

3  原告は幼少時脊髄性小児麻痺(ポリオ)に罹患し、昭和三二年に岡山県から身体障害者手帳の交付を受けているが、その際提出された医師山田憲一作成の昭和三二年九月七日付診断書には、「傷病名 左下肢脊髄性小児麻痺、現症 左下肢膝蓋腱反射缺如、大腿周径 左二九センチメートル、右四三センチメートル、棘踝距離 左八〇センチメートル、右八七センチメートル、即ち左下肢の著明な萎縮が認められる。」と記載されている。

以上の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)中右認定に反する供述部分は前掲各証拠に照らし採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実、原告車と被告車の衝突の程度及び証人塩川靖夫医師の証言を総合して考えると、原告は本件事故によつて前記傷害を受けたが、その程度は軽微であり、現在までのところ右傷害に起因して生じた現実の収入減はなく、原告の主張する後遺症はその大部分が幼少時罹患した脊髄性小児麻痺(ポリオ)に起因するものであつて、右傷害によつて若干の労働能力の喪失が生じたとしても、その労働能力喪失による損害と慰藉料を合算した損害金額が金二〇〇万円を超えることはないと認めるのが相当である。なお、前掲甲第四号証及び乙第一〇号証(自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書)は、一見右認定と矛盾するようにみえないではないけれども、右各記載内容及び証人塩川靖夫医師の証言に照らして考えると、いずれも、右後遺障害診断書は原告の診断医に対する主張が真実であることを前提として記載されたものであり、原告の診断医に対する主張に事実に反する誇張等があるときには診断結果も当然違つていたはずであることを認めることができるから、右各書証は、右認定と矛盾するものではない。

そうすると、右二〇〇万円から過失相殺による三割を減じ、自動車損害賠償保険より受領した前記一六四万円を控除すると、原告が被告に賠償を請求できる損害金は、現在では、残存していないといわざるをえない。

五  結語

よつて、原告の被告に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文とおり判決する。

(裁判官 庵前重和)

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